イワナ王子の駐日イワナ王国大使館

主にファイプロ、プロレスのことについて話します。

【選手紹介】クリス・オルソン

選手紹介記事復活です。初めにお詫びしておくと、非常に長くなってしまったので、この記事の投稿後にもうひとつ、ゆるい紹介記事を作成予定です。こちらは選手の背景や設定など、世界観の中での紹介で、ゆるい方は作者としてどういうことを考えてエディットしたかを書いていく、という書き分けをする予定です。

 

先日、紹介動画を出したクリス・オルソンとフランク・スリーパーですが、この2人は今後、渓に上がってもらうとTwitter上でも何度かお話させていただきました。それはこの2人を私が気に入っているから、というのももちろんあるのですが、それ以上に、活動していない期間にも練っていた設定の多くにこの2人が関わるからです。

大きな設定や流れについては今後、どういう形かは未定ではありますが公開していく予定ですのでここでは深くは語りませんが、どうぞ宜しくお願いいたします。

 

紹介動画&レスラーリンク

https://twitter.com/iwanaouji_fip/status/1641085652329693184?t=3F2fkij8aMB6xItwP8215Q&s=19


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彼のプロレス人生の幕開けは、ほんの小遣い稼ぎだった。

彼はアメリカの片田舎、黒人家庭の多い地域の、ごく普通の家庭に生まれ、ごく普通の高校に通っていた。そこで初めて本格的にスポーツを始めてみたくなり、特に強豪校でなかったおかげでトライアウトがなかった陸上競技を始めた。ある日、足を痛めてしまい、練習に参加せず学校から紹介された病院でたまたま出会ったレスラーから、体格の良さを見込まれアルバイトで地元のごく小規模なインディー団体に参加した。

 

数週間、陸上競技の練習の合間に先輩レスラーの元へ行き、基本的な受け身などを練習し、すぐにデビューした。地元出身の、それも久々の若手ということもあり、団体内では一定の人気を得るようになった。多い時でも200人に満たない観客しか入らない団体だったため、ファイトマネーなどほとんどないに等しかったが、リング設営やチケット販売などの雑用をするアルバイトとしても働いていたため、学生の小遣い稼ぎには十分だった。

 

その後も学校では陸上競技レスリングなど、いくつかのスポーツをやってみるが、特に実績は残せずに卒業し、大学進学という選択肢もあったが彼はプロレスに本格的に取り組むという選択をした。

 

しかし、彼の基礎は数週間の基本練習のみで、しかもそれは非常に低レベルな、正しく小遣いを稼ぐ程度にしか使えない技術であり、とても生計を立てることなど望めないものだった。

そこで彼は先輩レスラーから紹介してもらい、10年ほどの歴史がある中堅団体のジムで、ゼロからトレーニングをさせてもらうことになった。

初めは全体練習についていくのもやっとという有様だったが、低レベルとはいえ基礎が身についていたことやスポーツ経験などが活き、すぐに順応していき、中堅団体で再デビューをし、安い給料で生活はギリギリながらもプロレスで生活ができるようになっていった。

そうすると団体内でもベテランの、米国インディー業界では有名な部類の黒人レスラーから気に入られるようになる。

彼はそこでその黒人レスラーから、自分達のようなスター性のない黒人レスラーが、どうすればこの業界で必要とされるのかを徹底的に仕込まれた。学生時代にいた小規模団体と違い、人種が入り乱れる規模の大きな団体となると、どんなに黒人差別がなくなっていっても、それとスターになれるかは別問題なのだ。アメリカ人の数が、白人の方が多い以上、やはり黒人がスターになるというのは並大抵のことではない。ファンの絶対数が白人の方が多くなってしまうからだ。

 

曰く、必要なのは「どんな技でも派手に受け切る受け身」、「どんな相手でも長時間の試合で引き立たせてやれるスタミナ」、「客をノせる技術」の3つだけだという。凄まじい身体能力も、複雑な大技も、自分達には必要ない。そういうことは対戦相手が勝手にやってくれるから、自分達はそれを邪魔しないよう、引き立つようにすればいいのだと。

 

そして、逆に絶対にやっては行けない事として、凶器や反則に逃げるような安易なヒールには絶対になってはいけないのだと、自分達は安易なヒールをやっていると、地域によっては本当に命の危険があるからだと。昔の黒人差別がまだまだ顕著だった時代からこの業界にいる男が、業界で生き抜くために死に物狂いで身につけたものだった。

 

彼はその教えを忠実に守った。徹底的に受け身を鍛え、陸上競技をやっていた高校時代よりも走り込みをしてスタミナをつけ、どんなに下手な相手と試合をしても盛り上げられるレスラーになっていった。派手な技は極力少なく、試合の盛り上がりに応じて使う技を変え、より相手が凄いように、強いように見せ、なおかつ絶対に怪我をしないという能力に長けていった。

 

そうして試合を重ねるうちに、段々と業界内で評価されるようになっていき、彼との試合をきっかけにステップアップしていくレスラーが続出するようになった。そしてキャリアを重ねるうち、かつて黒人レスラーから教わったように、新人レスラーに技術を教え、試合では相手を引き立てる日々を重ねた。

 

だがそうして業界内では評価を上げていく一方、彼自身の人気はキャリア20年に到達しても、あくまでもジョバーであり、中堅団体のファンという比較的コアなファンの中の、ジョバーに注目するようなさらにひと握りのコアなファンからしか人気がなく、団体内での扱いも複雑になり、立ち位置も段々と曖昧になっていった。

 

教えを守り、決してヒールをやらない彼は、確かに純粋な試合の盛り上がりで幾人ものレスラーをスターにしてきたが、それは皆、相手に荒削りでもスター性があったから。彼自身の魅力としてはファンに認知されていなかったのである。

 

つまり、彼自身に対して一般的なファンは、応援をしたらいいのか、ブーイングを飛ばしたらいいのか、よくわからない存在になってしまっていたのだった。

 

そんな彼の転機は、フリーとして転戦してきた、当時米国インディー界の人気者だったドス・スモーとの試合だった。イワナーマスクらイワナ王国のプロデュースで異民族、他団体、他競技をギミックとして使用した怪しげなヒールとして人気を博し、彼と真逆の方向性でファンを獲得するスモーとのライバルストーリーを構築していく過程で、必然的に彼はベビーフェイスとなっていく。

 

やがて団体最高のベルトを奪ったスモーは、団体の若手有望株、絶対的エース、頼りになるベテランなど団体のベビーフェイス達を次々に下し、いよいよもう、今まで扱いが宙に浮いていたクリスしかいないとファンが期待をするようになっていき、更にクリスのファンは増えていく。

 

当時この中堅団体はビッグマッチでも3000人規模の会場が限界の団体だったが、2人の抗争のピーク時には8000人規模の会場が超満員となるほどだった。

そして彼は、その8000人の観客の前で、人生唯一のタイトル獲得を果たした。これまで数十人の前でさえ引き立て役に徹してきた彼が報われた瞬間だった。

 

その後彼の知名度は米国全国区になっていき、彼にはメジャー団体からレギュラー契約のオファーがあり、入団した。プロレスリングCKAS、日本で財を成したプロレスラーが、活動拠点を米国に移して興した団体だったが、現在では世界全国をビジネスの場とする米国2大メジャーの片割れという、超巨大団体である。

 

本来ならば多少人気があろうと、インディーの選手にいきなりレギュラー契約などありえないレベルの団体だが、彼の受け身の技術を代表のレスラーが気に入り、下部組織CKSの若手レスラーの手本とするべくオファーをしたのだ。

 

そして彼は、今日も若手レスラーに技術を教え、試合では相手を引き立てる、プロフェッショナルの仕事を完遂するのだ。